目指して、目指して、上を見た
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今よりもっと子どもだった頃の私が見たら、信じられないようなことを平気でやっている自分がいる。
あんな大人にはならないと、誓ったはずなのに。
でも今の私が見たら眉を顰めるような言動でさえ、いつかの自分はなんでもないような顔をしてやっているんだろう。
安易に想像が出来てしまうことに、少し恐ろしくなった。
生きていくことの意味を考えて、成長することの意味を突き詰めると、それは汚れていくことなんだろうか。未来の自分は、この疑問を解決できるだろうか。悩むことですらしなくなってしまうのだろうか。嘆くこともしなくなるんだろうか。
誰かがいうには、大人になるというのは妥協と自分の限界を知ることなのだそうだ。
そんなのはいやだ。
そう開口一番に返すことが出来た自分ですら、今ではどこにいるのか見つけられない。
だって自分は今、諦めと挑戦の境界に立っていて。どちらかといえば諦めに傾いていて。
悩む時間は今までにたくさんあった筈だけど、真剣に熟考しなかった私自身に非があるのだけれど。
一枚の紙と高々小一時間のうちにこれから先何十年と続く未来を決めるには経験値が足らないんだ。
どんな人間になりたいの?
将来なにになりたいの?
卒業したらどうするの?
ちょっと待ってよ。今考えるからさ。
小さい頃、お花屋さんに憧れてた。
「母の日にはカーネーションいっぱいあげるからね」と言って母に頭を撫でてもらえたのがとても嬉しかった。
あれからまだ10年かそこらしか経っていないのに、それが無理なことを私はもう知っていて。
母の日のカーネーションなんて、もう随分あげていなくて。あげても、もう頭を撫でてなんかもらえないことだって分かってて。
そのことを悲観したりはしないけど、当時の自分を少しだけ羨んでる。
月日を重ねる毎に知っていく現実という名の事実に、希望とか夢とか、もっと大切だったはずのキラキラと輝いていた何かが塗りつぶされていく感覚がする。
何になりたいの?
何度も何度も何度も何度も自分に問いかける。
そのたびに私はこうなりたいんだと、言い聞かせるように繰り返す自分を、いつまで騙していけるだろうか。
本当はお金のためなの。
本当は違うことがしたいの。
本当はこんなことしたくないの。
本当は、本当は。
でも、これは嫌なことから目を逸らすための免罪符になりはしない。
やりたくないことを無理矢理やらされてるわけじゃない。私がやりたくてやっているんだ。
それも真実で、けどやりたくないことも本当で。
時間は刻一刻と近づいてきてる。
早く決めなくちゃ。
これから先の60年ほどの人生の行き先を。
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